ある日、あまりにも邪魔だっつって業者にスキャンしてもらって捨てたわけですよ、雑誌を。でもそのスキャンした雑誌は、本当に読まないよね。データは不思議と読み返さない。本棚に差してある、スキャンしてない雑誌は……ふと手に取るんだよ! 目に入ると。所作としてはどっちも全然労力じゃないんだけど、エクスプローラをたどってpdfをダブルクリックする気にはならないけど、古雑誌はパラパラめくろうかなと思う。不思議。
なんでだろうね。これは情緒的というよりはもっと本能的、肉体的な何かなのかもしれん。わからない。
"友部正人
『ぼくの田舎』(CD)
2013年5月3日発売
価格:3,000円(税込)
TMオフィス / TM-016
1. ぼくの田舎
2. 歌は歌えば詩になって行く
3. SKY
4. 日本に地震があったのに
5. タブロイド・ウォーター・ブルース
6. ランブリン・ジャック
7. 昨日までの明日
8. 日暮れの子供たちの手を引いて
9. マリーナとウーライ
10. お話
11. 弟の墓
— 友部正人の新アルバムは「飛行機から日本を見るように」制作した『ぼくの田舎』 -musicニュース:CINRA.NET
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— ソニック・ユースのキム・ゴードン、サーストン・ムーアとの別離と乳がんについて語る (2013/04/23) | 洋楽 ニュース | RO69(アールオーロック) - ロッキング・オンの音楽情報サイト
第3局を観戦しましたが、定跡や手筋など人間が先入観として持っていることが、裏目に出たような感じがしました。自分たちが作り上げた感覚が、コンピューターの正確な読みで弱点を突かれる――。そんな恐怖感をプロ棋士はコンピューターに感じているように思いましたね。
コンピューターの指し手が人の心を動かすかどうかに興味を持って見ていたのですが、感動の連続でした。単なる機械が計算しているのではなく、何かを表現しているように感じました。一つの物語を作っているようにさえ思いました。知性に近い気がしました。
"— 朝日新聞デジタル:将棋電王戦「人の先入観、裏目に」 作家・大崎善生さん - カルチャー (via kogumarecord)
— 仁義なき戦い - Wikipedia (via kazukij)
前提を遡った結果、三島は天皇を見出します。そして、日本的なもの全てに意味が与えられるには、天皇が機能しなければならないと結論します。これは矛盾 です。橋川文三が気づいて「君は天皇を絶対的だと言うくせに、天皇が絶対的であらねばならぬ機能的理由を説明する、つまり天皇を手段として扱っている」と 指摘します。
三島はさすがに頭がいいので「橋川文三先生のおっしゃる通り」と兜を脱ぎます。そして結局、自分は事実として帰依しているのだと、情念の問題にズラすの ですね。小室先生もやはり同じだと僕は感じています。機能的記述つまり手段的有効性を指摘しつつ、同じ1985年の『奇蹟の今上天皇』で自らの深い情念を 記しておられます。
小室先生ご自身、私的な会話で、戦争に負けたことが悔しくてならなかったと何度もお話しされておられました。昭和天皇を強烈に尊崇しておられたこと。敗 戦を小国民世代ならではの激烈な悔しさで迎えられたこと。しかし先の二冊を除いては、端的な情念を記すことなく、三島的なロジックを用いたこと。それが、 印象的です。"
— 橋爪大三郎教授と、共通の師匠である小室直樹博士について語り合いました (1/2)(宮台真司) - BLOGOS(ブロゴス)
「生きているときの彼女は、俺の敵だった。だが、死んだ彼女は俺の敵ではない。俺は彼女の墓の上で踊る気はない」
というジョン・ライドンの発言は、現代の英国の所謂”ザ・レフト”の人びとには評判が良くないようだ。それは、「悪い魔女は死んだ」と歓喜して踊るパー
ティ・ピープルの士気を盛り下げる言葉だからである。セックス・ピストルズのジョニー・ロットンは、ザ・スミスのモリッシーのようにべたべたに直球のアン
チ・サッチャー声明を発表しなかったので、肩透かしだったそうだ。
しかし、わたしには、それがピストルズとザ・スミスというバンドの役者の違いだったように思える。
死人を相手に、勝ち誇ったような顔をしてパーティをしてどうする。
誤魔化されるな。真の敵と戦え。
「そもそも、コステロのあの歌は、あの女が死んだら墓を踏みつけてパーティしてやる。という歌じゃないよね。彼女より俺たちは先に逝くだろうという、かなしい歌だ」
タケ@ALL-A (take_all_a)さんはTwitterを使っています
団地・建築・土木・産業遺産などを紹介するサイトALL-Aとそのブログ版ALL-A blogなどを運営。また、共同参加型建築サイト「建築マップ」のメンバーとしても活動。このアカウントでは福岡とその近県から西日本を中心に、団地・建 築・産業遺産関係のニュースと私見をツイートします。
俺、この人の写真には別にケチつける気は起こらないのよ。
車のナンバーくらい隠せばいいのにって思うくらいで。
この「ダンメン」なんかはそういうのに目をつけるのかーって思ったし。
で、何が違うのか考えてみたんだけど「小馬鹿感」と「建築物と生活との一線」だと思うんだよね。
同じ集合住宅を紹介するにしても「この古いアパートはいいね!」って紹介するのと「この古いアパートはいいね!それに引き換えこっちの新しいアパート(笑)」みたいなのでは全然違うわけでしょ。
例の記事で言えば「おいおいだいじょうぶか」なんて書く必要はないでしょ。
上のダンメンでもキャプションに「無理やりぶった切って駐車場作ってるけどお金にでも困ったのかな?」とか書いてあったらダメだろ。*1
その辺の小馬鹿感の有無が不快かどうかの分かれ目なんだと思う。
で、生活との一線ってのはまあ洗濯物だよね。
建築物を撮影するのとそこに住んでる人の生活を撮影するのとではモラルのハードルが段違いだろうし。
で、そのあれは2つを踏み越えてしまっているので激おこプンプン丸なわけで。
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